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  • 2014.02.15 Saturday

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くらしにエッセイあとがき


ARTS&CRAFT静岡・米澤あす香



ARTS&CRAFT静岡の米澤です。

くらしのこと市のイベントに合わせた暮らしにまつわるエッセイの短期連載をさせて頂きまし

た、「くらしにエッセイ」の連載を前回の掲載をもって終了しました。

静岡市足久保で開催される「くらしのこと市」がいよいよ今週末に開催されます。

日々の暮らしに寄り添う作品づくりをするつくり手が集う1日を思うと気持ちが高まります。

くらしのこと市では、日常使いのうつわを中心に、暮らしを彩る道具、素材にこだわった食品

を扱うお店が出展します。

カフェでは、野菜、お米にこだわった「ふだんのカレー」を作家さんに製作して頂いた、

うつわとスプーンでお出しします。

また、開催時には作家さんが話してとなる「暮らし」にまつわるトークイベントや学びと

体験の教室(予約制)などのイベントも企画しました。

お誘い合わせの上、どうぞ遊びに来てくださいね!



初めて書き上げた「わたしの朝ごはん」のエッセイ。

「これだ」と手ごたえを感じて、原稿を書き終えました。

そのとき、とってもお腹が空いてぼーっとしました。自分が空っぽになってしまったようで、

書き終えた達成感と満足した気持ちや安心感が入り混じった気持ちは今までに味わった事の

ないものでした。作家さんが作品を作る事がどういうことなのか少しだけわかった気が

しました。

作家さんたちが自分の持てる技術やセンス、想いなどを全力で費やして作り上げる作品の

ように、私も持てるものを全て注ぎ込みましたので、このエッセイを作品と言わせて下さい。


エッセイを書いた事のない私の文章を根気強く校正して下さった名倉さん。

一番に読んでもらうこと、毎回緊張しました。

∴つづる で連載できたこと、本当によかったです。ありがとうございました。


∴つづる で連載された先輩からは

「大変だったけど、やってよかった」

「今回よりも、次回はそれを越えること。それが連載」

という言葉を頂きました。

どちらも経験しなければわからないことで、自分を毎回奮い立たせる言葉となりました。

ありがとうございました。


また、エッセイに登場した家族、登場しなかったけれど、いつも私の暮らしを彩ってくれて

いるみなさまに感謝します。



エッセイの掲載が始まったとき、「もしかしたら世界で少なくとも10人、20人の人が

エッセイを読んでくれたかもしれない」とふと思いました。そうしたら、胸の奥底から

温かい幸せな気持ちが溢れ、これからの自分のやりたいことが見えてきたように思います。


名残おしいですが、このへんで。

これからも、みなさまの暮らしにエッセイがありますように。



米澤あす香


・・・・・


※「くらしにエッセイ」は11月11日に開催される

  くらしのこと市公式サイトより掲載されております。


手創り市

http://www.tezukuriichi.com

info@tezukuriichi.com







くらしにエッセイ:暮らしのこと


ARTS&CRAFT静岡・米澤あす香


あの頃とは、ずいぶんと暮らしのリズムが変わった。

姉が出産をして、母が子育てと家事の世話をするために家を空けてから、私の朝はゆっくりと

白湯をすする時間も無く、お弁当作りや洗濯に追われていた。自分の朝ごはんの時間は10分

あればいいほうかもしれない。

1日で一番ほっとできるのが、朝ごはんの時間。洗濯を済ませて、お弁当を詰め終えた後の

朝ごはんが楽しみになってから、お楽しみのためにお気に入りのパンやスコーンをお腹

いっぱい食べるようになった。

以前は、朝ごはんは、なるべく軽く済ませるように心がけていた。それほど食欲が湧か

なかったし、そのほうが健康的だと思っていたから。

美味しい朝ごはんをお腹いっぱい食べることで、家事をこなす殺伐とした時間とのバランスを

とっている。

ある朝、いつもよりミルクティーが美味しく淹れられた。

さっきまで、1分、1秒も無駄にしまいと顔をこわばらせて家の中を行ったり来たりして

いたのに、たった今は、ミルクティーが美味しく淹れられたことだけで、とても満たされている。

それに、ミルクティーを淹れたカップは買ったばかりで、見るだけで嬉しいもの。お気に入り

の皿には美味しいスコーンを。

自分で選んだものたちが殺伐とした時間を止めてくれる。


母が帰ってきてからも、私はお弁当作りを続けている。

改めて、これまで母に甘えっぱなしだったことを反省し、母への感謝が増した。自分のことは

自分で出来るようにしたいと思っている。

もっとお弁当作りに余裕ができるように、週末は1週間分のお弁当の献立を決めることにした。

彩りを考えながら、ノートに1日ずつの献立と必要な材料や料理本の頁も書いておく。

保存食を予め作っておいて、朝は、卵焼きだけを作ることにした。

でも、どうしてだろう。作るのは卵焼きだけで、保存食は温めるだけなのに、掛かる時間が以前

と変わらないのは…。


以前よりも慌ただしくなった私の暮らし。朝の時間は増やすことは出来ないけれど、自分が

満たされるような密な時間にすることは出来る。自分のお気に入りのものを、見て、触れること。

美味しいものを食べること。

今の私が思うことは、外側の条件が揃うことだけが豊かさに繋がるわけではなくて、自分の

内側から変わることで豊かさを感じることだってあるということ。

玉子焼きすら作ったことのなかった私が、お弁当作りを続けると決めた。私にとってお弁当を

作ることは、私の暮らしを少し豊かにすること。欠けていた部分を補う努力をして、今までに

なかった豊かさを感じている。

たとえ、お弁当を作ることで朝ごはんの時間が10分になっても、その10分は満たされる時間

であるし、自分で作ったお弁当を開けるときには充実さを感じている。


お弁当作りを続ける私に、母が曲げわっぱのお弁当箱をプレゼントしてくれた。

私の作るおかずは不恰好だし、それをまだ上手に詰めることも出来なくて、お弁当箱ばかりが

立派でいつも可笑しいなと思う。

でも、自分が作ったお弁当は、誰がなんと言おうと美味しい。




※「くらしにエッセイ」は11月11日に開催される

   「くらしのこと市」サイトからの転載となります。


手創り市

http://www.tezukuriichi.com

info@tezukuriichi.com






くらしにエッセイ:これくらいの お弁当箱に


ARTS&CRAFT静岡・米澤あす香



誰かにとっては毎日作って食べるもの、日常。

また、誰かにとっては特別な日に食べられて、楽しみなもの。

それがお弁当。


給食を食べていた幼稚園生から中学生までのお弁当持参の日は、イベントごとが多かった。

運動会や遠足、ちょっといつもとは違う時間割のとき。野外で食べたり、教室で食べたり、

場所は関係なくお弁当の時間はわくわくした。童謡にお弁当の歌があるのも頷ける。

給食はいつもクラス内で分かれている班で食べなくてはいけなかったけれど、お弁当は誰と

でも自由にお昼の時間を過ごせたという記憶がある。いつも休み時間に過ごすのとはまた

違って、とても嬉しかった。大人である先生も、お弁当は特別な日ととらえていたと思うと、

なんだか微笑ましい。

友達のお弁当を覗くのも面白かった。あるとき、ロールパンにハムやチーズ、野菜を挟んだ

サンドウィッチを持ってきた友達がいた。お母さんが寝坊したという理由だったようだが、

いつものり弁のモノクロ弁当が定番だった私には、それがとてもおしゃれに見えて羨ましかった

のを覚えている。


私のお弁当生活は、高校生から社会人となった今現在まで続いている。8年ほど母が作っている

お弁当をお昼に食べることが日常化されている。

お弁当のおかずは、前日の夕飯の残りものだったり、買ったお惣菜だったりするが、特に不満

もなかった。だけど、時々、非日常を楽しみたくてパンなどを買うこともある。いつもお弁当

を作ってもらっている立場なのに、「明日はパンを買うね」と言うのは少し申し訳なさを

感じていた。


2週間前、私は生まれて初めて自分のお弁当を作った。

姉に子どもが生まれ、母が姉夫婦の家で寝泊りをしながら家事を手伝うことになり、自分の

ことは自分でやらなければならなくなった。

夕飯はかろうじて作りに来てくれるものの、お弁当は自分でどうにかしなければならなかった。

今まで実家で暮らしてきた私は、家事など全くしてこなかったので、料理のレパートリーなど

無い。だけど、1ヶ月近くもお昼ごはんを買って済ますのは味気ない。それに母に30年近く

お弁当を作ってもらっていた父がいる。娘がいるのにお弁当も作ってもらえないなんて、

ちょっと自分でもどうかと思った。

そうして、お弁当作りが始まった。

図書館で借りたお弁当作りの本に、作れそうなおかずをポストイットする。炒めるだけ、

和えるだけ、焼くだけ…。調味料も自分が使いこなせそうなものだけ。

最初、母は料理を全くしてこなかった私を信用しておらず、父の分のお弁当は作らなくても

いいと言った。私も自信がなくて、自分の分だけを作ってみた。鮭を味噌で和えて焼いたり、

トースターで小さなグラタン風を作ったり、彩りを考えてプチトマトも添えた。

「今日は自分で作ったお弁当がある」と思うと、お昼ご飯が待ち遠しく、すこしどきどきした。

初めて作ったお弁当は、おかずの味が少し濃すぎたけれど、それでも上出来だったと思う。

母にお弁当の写真を送ったら、こんなに作れるものなのかと心底驚いていた。自信がついたので

父の分と2人分を毎日作っている。

「15分で出来る」と本に書いてあるのにどう頑張っても40分は掛かるから、そのおかげで

いつも電車に駆け込み乗車をして、朝からくたびれる。早起きするのだって辛い。

だけど、お弁当箱に彩りよく詰められたときの嬉しさ、お昼の時間にお弁当箱を開けるときの

少しどきどきする気持ち。そしてなにより、自分で頑張って作ったものだから大事に食べて、

明日も頑張って作ろうと思える。

私のお弁当はいつもの毎日を非日常にしている。

それはまるで童謡を歌っていたときのように。




※「くらしにエッセイ」は11月11日に開催される

   「くらしのこと市」サイトからの転載となります。


手創り市

http://www.tezukuriichi.com

info@tezukuriichi.com

 





くらしにエッセイ:わが家のおでん


ARTS&CRAFT静岡・米澤あす香




我が家のおでんは「静岡おでん」というらしい。

これまでずっと全国共通のふつうのおでんだと思っていた。

「静岡おでん」という単語を初めて聞いたときはピンとこなかった。

「土地+料理名」の名前のグルメは1度食べてみたいと思わせる魅力がある。

例えば、札幌ラーメンや沖縄そばなど自分の住んでいる土地とは全く違う生活をしている人

たちが食べるものは、どんな味付けや工夫があるのだろう。訪れたらぜひ食べてみたいと思う。

それに比べて静岡おでんというものは、なんだかパッとしないなと静岡県民の私は思う。

静岡では、おでんは昔から家の食卓以外でも登場するものだった。

駄菓子屋ではおでんの鍋があるのは珍しいことではなく、おやつの立ち位置としておでんが

ある。静岡市のおでん街では昔からスープを継ぎ足して伝統を守っているお店が軒を連ねてい

る。夜になると妖しく提灯が灯り、女将とおじさんたちの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。

大人も子どももおでんが大好きだ。



静岡おでんの特徴は、牛すじでとったスープで黒っぽい。特に長年継ぎ足されているお店の

スープは真っ黒に近い。おでんのタネもスープが染み込んで黒くなり、味が濃くしょっぱい。

しかし、それがお酒によく合うのだ。串に刺さったタネを甘い味噌やカツオなどのだし粉と青

のりを好みでかけて食べる。

静岡ならではのタネは黒はんぺんというもので、白はんぺんは入っていない。

白はんぺんがサメを主な原料として、長芋を混ぜているために白色に仕上がるのに対して、

黒はんぺんはサバやイワシを主原料に、皮や骨ごとすり身にしているために黒っぽい色を

していて分度器のような半円型のものが一般的に販売されている。

白はんぺんは食卓にのぼったことがないし、外食したときも白はんぺんのメニューを見たこと

がない。

覚えている限り、私が白はんぺんを食べたのは1度だけ。

高校生のときに友人がコンビニでおでんを買ったときのこと。

私は友人が白はんぺんを買ったことに驚いた。母から「白はんぺんは美味しくない」と

言われてきたからだ。

私が「美味しいの?」と尋ねたら、白はんぺんを食べたことのない私に友人が驚いて、

分けてくれた。

そのときの衝撃と言ったら…。ぺっちゃんこの黒はんぺんに対して、白はんぺんのあのふわふわ

な生地! 生まれて初めて食べた白はんぺんはとても美味しいものだった。

どうして母はあんなこと言ったのだろう。不思議だ。

しかし、それからは食べていない。白はんぺんは美味しいものだとわかっていても食べる機会

がないから。


寒くなると母はよくおでんを作ってくれる。小学生の頃、「明日はおでんだよ」と言われると、

とっても嬉しかった。仕込みの終わった鍋の中には、まだ真っ白の大根や卵などのいつもの

タネがスープに浸かっている。

具材にスープを染み込ませるため1日おいておくから、次の日の夕飯までが待ち遠しかった。

いよいよ食卓へあがる日には「今日の夕飯はおでん!」と友達に自慢していた。

冬の冷たい風が顔に当たる中を急いで家へ帰った。


今だって、おでんと聞くと心躍る気持ちは変わらない。

おでんの美味しい季節が待ち遠しい。



※「くらしにエッセイ」は本年11月11日に静岡県静岡市足久保で開催される

 くらしのこと市公式HPのひとつのコーナーを転載したものとなります。



手創り市

http://www.tezukuriichi.com

info@tezukuriichi.com











くらしにエッセイ:はやく、あいたいな


ARTS&CRAFT静岡・米澤あす香




小学生のときに友達に弟や妹が生まれると羨ましかった。お姉さんになった友達は、抱っこして

あげたり、鼻水を拭いてあげたり世話を焼いていて、小学生ながら自分よりも小さい子を守って

いるようだった。

みんなどんなふうに新しい家族を待っていたのだろう。お母さんのお腹が日に日に大きくなる

からお手伝いをしたり、母子手帳やエコー写真を見ながら楽しみだねと話したり、一緒に名前を

考えたりしていたのかな。

私は次女で、従兄妹の中でも末っ子なので、いつも私の姉と従兄妹のお兄さんやお姉さんに

遊んでもらっていた。自分より小さい子と遊んだり、お世話をしたりということがなかった

から、私は今でも小さい子をあやすのが得意ではないかもしれない。


新しい家族が増えるということが私には未知なことだった。

それが、姉に子どもが出来て私に姪っ子か甥っ子ができるのだ。


お腹がだんだんと大きくなっていくこと、今まで食べていたものが食べられなくなったこと、

子どもが苦手だったがお腹の子に話し掛けるようになった姉。父がおじいちゃんに、母が

おばあちゃんに、私がおばちゃんになること…今までの暮らしで当たり前のことだったような

ものが、不思議に、でも自然に、形を変えていった。

この8ヶ月間、まだ見ぬ小さな存在が私たち家族をいつも心穏やかにしてくれた。


私が姪っ子と甥っ子に思いを馳せているのに、姉は出産がこわいと言っている。

早く子どもに会いたいとか楽しみな気持ちよりも、今は子育ての責任や出産自体に不安がある

そう。これが、マタニティーブルーというものなのだろうか。でも、初めての出産に不安な

気持ちになることは当たり前なのかなと思った。

そうしたら祖母が「あんた、犬だって猫だって子どもを産むんだから、あんたが産めなくて

どうするのよ!」と、きっぱりと言った。犬と猫と同じにされた姉は「そうだよね」と笑った。

80年も人生を歩んできた、母親としての大先輩のどっしりとした言葉は姉を少しは安心させた

と思う。


この間、母と姉と私ランチをしたとき、8ヶ月の大きなお腹になった姉は駅から徒歩10分の

距離が歩けずにタクシーを使った。こんなに動けなくなるものかという驚きと、確実にそのとき

が近づいていると思いながらも、まだ少し実感がわかない気持ち。今思うとあれが3人で

出掛けた最後になるのかもしれない。

姉が結婚してからも、母と姉と私でよく遊びに出かけた。

3人で休日にランチに行き、新幹線で東京・雑司が谷の手創り市へも遊びに行った。

これからは4人になる。今までランチをしていたお店はベビーカーでは入れないし、おむつや

着替えで荷物は多くなるし、静かなお店には入りづらいし、新幹線に乗って遠出をすることも

しばらくはないのかもしれない。

寂しい気持ちはなくはない。だけど、きっと愛らしい子の手を引いて歩けばそんなことも

忘れるのだろう。


カウントダウンが始まっている。

はやく、あいたいな。



※「くらしにエッセイ」は静岡にて新たに開催される
 「くらしのこと市」HP内のものを転載しております。


手創り市








くらしにエッセイ:今日もお茶をいれる


ARTS&CRAFT静岡・米澤あす香


今日もお茶をいれる



湯を湯呑みに八分目まで入れ、湯呑みを温めながら、湯冷ましをする。その間に茶匙で茶葉を

一杯すくって急須に入れ、続いて湯冷ましをした湯を入れる。急須の中の茶葉が開いたら、

いち、に、いち、に、のリズムで均等に濃淡のないように廻し注ぎ、絞りきる。

注がれる間にだんだんと緑色が濃くなり、ふっとお茶の香りがする。その瞬間が好き。

温かいお茶を飲むと固くなった脳がほぐれるように緩むのがわかる。お茶を飲んでほっとする

ことは、やはり日本人であり静岡県人だなと思う。

お茶請けにはあんこのお菓子がもちろん合うけれど、お茶にチョコレートも好きな組み合わせ。


冬の寒さが和らいで、日差しが春らしくなると私はそわそわし始める。そして、県内ニュース

の天気予報で「遅霜予報」(おそじもよほう)が始まると、ますます気持ちが高まる。

いよいよ新茶シーズン。

遅霜予報は、暖かくなった4月頃に茶の産地に霜が降りることを予報する。冬の寒い時期は

寒さに耐えられるように葉が硬くなっているが、気温が上がり、成長したやわらかな新芽に

霜が当ると、品質に影響を受けやすい。私にとって遅霜予報が始まることは、「まだまだ

油断は禁物です」と警告をしつつ、「新茶まであともう少しだよ!」と教えてくれるもの。

暖かい日は、新芽が太陽の光を浴びてぐんぐんと伸びている様子を想像する。しかし、晴れの

日が長く続くと、雨量が少ないのではないかと心配になる。1日、1日の天気によって期待と

不安でぐるぐるとかき乱されながら新茶を待ちわびている。


祖母の家がお茶の小売店を営んでいる。

新茶を販売する前の試飲会に混ぜてもらった時に初めて新茶を飲んだ。新茶はごくごくと

飲むものではなく、少量をたのしむもの。初夏の太陽に照らされ、新芽がきらきらと眩しくて、

摘むのが勿体無いといつも眺めている茶畑の新緑が小さな湯呑の中にあった。みんなで口に

入れ、ひと呼吸して店主の祖母が「じゃあ、今年はこれでいこう」と言ってそれぞれが仕事に

掛かった中、私はひとり取り残されて、空っぽになった湯呑みをじっと見つめていた。

いつものお茶とは違うさわやかでみるい味(「みるい」とは静岡の方言で「未熟」や「若い」

という意味。茶業者が茶の状態を表現する専門用語として、全国で「柔らかい」などの

意味としても「みるい」が用いられている)、ちょっぴりしか淹れてもらえず少量をたのしむ

ということが理解できない不満足感…当時は新茶を飲むこと自体が大人のすることのように

思えた。

それから社会人になるまで新茶を口にすることはなかった。今となっては、10年分の新茶を

無駄にしてきたとさえ思う。



昔から新茶は季節のご挨拶として贈る習慣がある。

新茶が出来上がると友人に贈るのだが、どうやら喜んでくれているのはご両親のようだ。

私たちの世代がお茶を飲まなかったら、この先お茶に関わっている人たちはどうなってしまう

のだろう。

私は、外出する際に、急須で水筒にお茶を淹れて持って出掛ける。理由は、自動販売機で

買うより自分で淹れた方が断然おいしいから。

家庭で急須を使う人が減っているから、急須を作る職人が減っている。

茶を飲む人が減っているから、茶農家が減っている。

茶農家が減っているから、茶畑が…

また来年も、この先も、新緑溢れる風景を静岡で見たいと願う。


※本連載は「くらしのこと市」に掲載されている「くらしにエッセイ」

 を転載したものとなります。


手創り市

http://www.tezukuriichi.com

info@tezukuriichi.com






くらしにエッセイ:わたしの朝ごはん


ARTS&CRAFT静岡・米澤あす香



朝、起きたらまずは少し冷ました白湯を一杯。起き抜けの白湯は腸を掃除してくれるらしい。

今日の天気予報を見たら、テレビを消す。目覚めたばかりの頭で、ぼーっとテレビを見ている

と求めてもいない情報が自分の中に入ってきて、自分の意志と関係なく思考が流されていって

しまうような気がするからだ。

窓から朝の庭を眺める。昨日よりも大きくなったバラの蕾や、姿は見たことないけれどカモメを

イメージさせるような、少し太い声の通る鳥の鳴声を聴きながら10分程掛けて白湯をすする。

お腹が空くのは起床してから1時間程経った頃。トーストした食パン1枚の半分。これがいつも

の朝ごはん。

朝ごはんは、たくさん食べるようにと言われるけれど、私には小学生のときから朝ごはんを

食べることがとても辛いものだった。起きて間もなくは食欲なんてないから、食べたくない

ものを食べてお腹を満たすことを子供ながらに体に悪いことをしている気がしていた。でも、

母親に「食べないと頭が働かない」だとか「元気がでない」などと言われるので、渋々詰め

込んでいた。

しかし、大人になってから知ったのは、朝は体がまだ完全に起きていないので食べ物を消化する

ことは体への負担が大きい。それに、日本人が農作業をしていた時代のように朝からたくさんの

エネルギーを消費することもないので、朝ごはんはたくさん食べなくてもよいという事だった。

私の子供の頃に感じていたことは間違ってはいなかった。朝の時間にお腹に空白を持つことは、

自分を健やかに保つ方法だということに、私は大いに納得した。


とは言っても、休日となると話は違う。あれだけ健康に気を使っている風だったいつもの

朝ごはんから一転する。

休日の朝ごはんは、パンケーキを焼いてバターを一面に塗りメープルシロップをたっぷり浸る

ほどにかけてぺろりと食べてしまう。

これまでの「お腹に空白を持つこと」の話が嘘のように思えてしまうかもしれない。

だけど、起きなければならない、支度をして家を出なければならないという誰に強制されている

訳でもない、無言の「ねばならない」から開放されるので、いつもの健康に気を使っている風な

朝ごはんもお休みになるのだ。

パンケーキは、材料の組み合わせ次第で食感や風味に様々なバリエーションを生む。私もメレン

ゲを立てたり、チーズを入れてみたり、重曹を加えたりとレシピを研究しながら休日の朝を楽し

んでいる。

材料を混ぜ合わせ、温めたフライパンに生地を流し込み、少し火を弱めてじっくり火を通す。

ぷつぷつと生地に泡が出たらひっくり返し、裏面に焼き色がついたところで皿に移す。

そして、居間のテーブルへ直行。焼き立てが1番美味しいので、1枚焼けるごとに味わう。

熱々のパンケーキに塗って溶けたバターの上からメープルシロップをたっぷりかける。

ナイフで切って、ひとくち。ふわふわの生地と口の中に広がるメープルシロップ、この世の幸せ

と言っても大げさではないと思う。

1枚食べ終わると、また立ち上がり台所でフライパンを温める。焼いて、食べて、焼いて、

食べて、台所と居間を行ったり来たり。

3枚目を食べ終わる頃にはお腹がパンパンに膨れて重たいとさえ感じる。

あの頃は朝ごはんを無理矢理食べていたけれど、今は自分のリズムに合わせて食べることを

選んでいる。大人になった私の朝ごはんは、お腹も心も満たしてくれる。




※本連載「くらしにエッセイ」は11月11日に静岡・足久保で開催される

 くらしのこと市公式サイトでも掲載されているものです。



手創り市

http://www.tezukuriichi.com

info@tezukuriichi.com

 





くらしにエッセイ、自己紹介


ARTS&CRAFT静岡スタッフの米澤あす香です。

11月11日に静岡市の足久保で行われる「くらしのこと市」のイベントに合わせて、

「くらしにエッセイ」をくらしのこと市公式HPで連載し、∴つづるでも短期連載を

させて頂くことになりました。

"くらしのこと"とは、日々の暮らしに寄り添う作品づくりをするつくり手が集います。

日常使いのうつわを中心に、暮らしを彩る道具、素材にこだわった食品を扱うお店も

参加をします。また、開催時には「暮らし」にまつわるトークイベントや学びと

体験の教室などのイベントも企画しております。

詳しくは「くらしのこと市」HP


エッセイは暮らしになくても問題のないものです。

だけど、今まで暮らしに関わっていないものと関わりができたとき、小さいけれど

暮らしのリズムが変わります。私にとって∴つづるの連載を読むことはそういうことです。

読み忘れても何の支障もない、だけど更新されているとちょっと嬉しくて、小さな発見や

楽しさがある。そして、次の更新まで忘れてしまう。

いつもの暮らしの中でエッセイを読むことが加わって、少しだけ暮らしのリズムが

変わっていく人がいるならば…「くらしにエッセイ」はそんな気持ちで書いています。

そして、エッセイを読んでこれまでの暮らしを振り返り、くらしのことのイベントで

これからの暮らしを思い描いて頂けたらと思います。


実は、エッセイを書いたことがありません。(!)

連載をすることが楽しみな気持ちと少しの不安。

新しいことを始めるときに不安があって当たり前!

書くことを思いきり楽しみます。

どうぞ宜しくお願いします。 


※「くらしにエッセイ」は不定期更新となっております。


手創り市






新連載「くらしにエッセイ」はじまります!!

11月11日より静岡の地ではじまる「くらしのこと市」

この会場はひとまず市というイベントから始まりますが、スタッフと共にじっくり

と育ててゆきたいと思っています。


そんな静岡スタッフ、ご存知米澤さんによる「∴つづる」での連載が始まります。


!!!


???


恐れ多くも、数々の作家さん、そして日々お店を営む方が連載をしている「∴つづる」で、

静岡のいちスタッフが何を語るのであろうか?

私としては生卵を投げつけられないか心配でなりませんが、当の本人は俄然やる気。


といっても、くらことサイトに掲載されている「くらしにエッセイ」を「∴つづる」でも

掲載させていただこうという強引なまでの我田引水。ご容赦願います。



短期集中連載「くらしにエッセイ」

著者:ARTS&CRAFT静岡 米澤あす香

http://tsuzuru-hibi.jugem.jp/?cid=13

※連載は不定期更新となります。


明日は早速自己紹介の記事としてお届け致します。


*本連載は、11月11日に静岡で開催される「くらしのこと市」HP内の

「くらしにエッセイ」を転載したものとなります。



編集部員・名倉

http://www.tezukuriichi.com

info@tezukuriichi.com







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