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  • 2014.02.15 Saturday

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健康より号外 : 健やか 康らか



「ガラガラガラ!!」


「えっ、何の音?」



今年ももうすぐ秋がやってくるなぁ〜というそんな季節、わりのいい仕事の話をもらった。


よその薪窯の窯焼きのバイトである。

さすが陶業の一大産地益子、たま〜にこんな話をもらえる。

まぁ、ただ単にお金の為でもなく、薪窯を焼いていると勝手に自然への畏怖や窯の神様の

存在なんかを感じる事が出来るからだ。

ラジオや音楽なんかはいらない、僕はただいつまでも阿呆のように窯を見つめながら、

火の音を聞き、窯の番をする。

ずっと見てても飽きないとはまさにこの事だとそう思う。

そんな感じで番をする人は代わり代わりしながら、火はどんどんと温度をあげていく。


5日目の夜、僕の番の時だった。


いつものように薪を投げ入れ、蓋を閉めて、窯に背をむけているその時、

「ガラガラガラ!!」っと、夜の静寂をつん裂くような音がした。

「えっ何の音?」と同時に顔はみるみると血の気を失い、ありえない出来事を頭は思い描く。

恐る恐る蓋を開けてみると光り輝くその景色が、何度も繰り返し見てきた景色ではなかった。

慌てて窯主さんを叩き起こし、飛ぶようにして見てもらう。


「あ〜、あ〜、駄目だこりゃ、棚が崩れたな。」


現実を受け入れられない僕はただ横で呆然とつっ伏し、窯主さんは熱い光りを浴びながら

無駄のない動きで鉄の棒で中の様子を探る。

そして、「窯を止める」と言った。


その後の事はあまりのショックで現実を受け入れたくない気持ちと、どうしよう?という

気持ちで頭の中が渋滞してしまい、ほとんど覚えていない。

でも窯主さんは一言も怒らなかった。

逆に「人生で今迄で失敗したことはないのか?」とか

「どんなに辛いことがあっても又焼いていかなくちゃいけない」と

ご自身の大変だった経験を話してもらい励ましてもらった。

本当は落ち込みたいのは窯主さんの方なのに....。

最後に、「自分にお弟子さんが出来たら失敗を経験させてやれよ」と言っていただいた。



....あれから数ヶ月たち、棚を組み直しての窯焼きも今度は無事に終わり、ようやく

気持ちは落ち着いてきた。

しかしこの出来事で焼き物の仕事の怖さを知ると同時にいろいろと考えさせられた。


やりきれない気持ちは人の窯であるからだが、もし自分の切羽詰まった時だったとしたらと

思うとゾッとする。

窯主さんには本当に申し訳ないが、かけがえのないいい経験をさせてもらったなと今では

そう思う。


この経験があってから、何事も経験だと僕は思うようになった。

とにかく経験しようと!

今まではモノや本などを買う事で自分に目に見える投資をしてきたが、形のないものへ

投資をしようと思うようになった。

つまり、単純にお花やお茶などの習い事を始めた。

自分にプラスになるように。

いい歳をして自分で払う月謝はなかなかに大変だけれどもその分得るものも多く、また、

楽しい。


このような一連の出来事があるといつものようについつい言ってしまいたくなる相手が

僕にはいる。


....須原だ。


「俺はこんな出来事があって何でも経験やと思ったから自分への投資をもう始めてるで」

って始めて間もないくせに誇らしげに須原に言ってみた。


「俺もやってみたいなぁ、いいなぁ。....でもな、

 俺も言ってなかったけど実は鍛金を習い始めてん」


鍛金の技術っていうのは詳しくはわからないけど鍋なんかを作れる技術だと聞いた。

お互いしばらく会わなければなかなかに刺激を与えてくれる。

彼もまた日々悩み、次の自分のステップアップを見据えて動いているんだと思った。

頑張っていることが聞けて、ただ嬉しかった。


もう一人、僕にはなかなかに刺激を与えてくれる人間がいる。

うつわとくらしsolの店主菊田だ。

半年ほど前から年末の須原との展示会の話を進めてきたが、最近になってスペシャルゲストが

来てもらえることになったと連絡があった。

元、駒場民藝館主任学芸員の尾久彰三さんだ。

尾久さんといえば工芸全般に造詣が深い方で著作も何冊もだされている。

何より前から僕はファンでサイン入りの本なんかも持っている。

民藝館を引退されてからの横浜そごう美術館での「観じる民藝」展へは、須原、菊田と

三人で見に行ったのが記憶に新しい。


そんな方が、二人展に来てくれるという。

来てくれるだけじゃなくイベントとしてお話ありの食事会をしてもらえることとなった。

よくぞこの話をまとめたなと思う。お陰さまで嬉しさ半分、かなりのプレッシャーだ。


でも「男子三日あわずば括目せよ」とはまさにこの事だなと思った。


健康よりを終えてからの一年、いいことも悪いこともあって、いろんな経験をした。

でもそれですぐに作風が変わるわけはないだろうが僕達は着実に歩んでいるということを

確信している。


「健やかに、康らかに」


大切な自分らしさを大事にしながら....



近藤康弘


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「あるつくり手の一日」

 yuta須原健夫 



- 12:30 -


近藤。ぎっくり腰になりかけて待ち合わせに遅れてくる。


よく晴れた週末の午後、白金台の閑静な住宅街に、腰を押さえてふらふらと歩く、

キャスケットの男。


僕はというと、前日に左目が真っ赤に充血し、悪魔みたいな目になっていた。


僕の名前は須原健夫。東京の青梅という田舎町で金工をやっています。

そしてふらふらと横を歩くキャスケットの男の名前は、近藤康弘。

20年近く前に高校で机を並べた学友、というか机の下で漫画を読んでいたしょっぱい

悪友ですが、今は栃木県は益子町で立派にろくろを回す日々。


健夫の「健」と、康弘の「康」を足すと「健康」となるのは偶然か必然か、健康的な

ものづくりを心がけ、日々、日常の道具を作っています。


健康的……健康…。

僕は真っ赤に充血した目で、ふと隣を眺める。



「いや〜、風呂場で中腰でお湯ためてたら、腰がびきっときたのよびきっと。

これはくるなと思って、おれは腰への負担を分散させる為に横にシャッと転がったわけや。

そのおかげで、完全なぎっくり腰にならんで済んだんやで」



……前途多難である。



- 14:30 -


白金の美術館を後にする。


先達の作った、うつわや書の数々、そして美術館自体の醸し出す空気感に、神経が

研ぎ澄まされるようだ。

今日は一日、この感覚を大切にしたい。


閑静なこの町の空気感と歩調を合わせるように、静かに深呼吸をして歩き出す。



「ベランダの植物がしゅっとしているよね」


「まるでお城みたいな家があるよ」


「僕や君が乗っている、黄色いナンバープレートの車が無いよね」


「あそこにとてもおしゃれなブックオフがあるよ」



歩く毎に、研ぎ澄まされた神経が、急速に切れ味を失っていくのを感じながら、

僕達は地下鉄の駅へと吸い込まれていった。



- 16:00 -


逆走する電車に乗ったり乗らなかったりしながら、高円寺へ。


絵を描いている作家さんの個展に伺う。


白い空間を抱いて、流氷のように、するどく、柔らかく、流れていくキャンバス。


感覚で物語を読むような、気持ちで満たされた空間。


たくさんお話もでき、コーヒーと美味しいお菓子もいただき、心が洗われるような

時間を過ごす。



「おれらも、これぐらいお客さんに満足して帰ってもらえるような展示にしたいな」


「そうやな」



古着屋と居酒屋の町並みを横目で見ながら、自分達の心に喝を入れた。



- 18:00 -


中野の日本料理店。


お茶室としても使えるのであろう三畳の個室。

柱や壁、部屋のどこをとっても、ひとつひとつが美しい。


ゆっくりと出される料理。

うつわと盛り付けが楽しい。


期待で胸をいっぱいに膨らませて、料理を口に運ぶ。

期待をはるかに越える美味しさ。


味わう。

胸いっぱいの期待が花火みたいに、いろんな色に染められては弾けていく。


「楽しんでますか?」

料理が、うつわが、語りかけてくる。

こんなにも美味しいのに、こんなにも身近にあって、ちっとも威張るところがない。


勝手に思い込んでいた、自分達の天井がどんどん上がっていく。

僕達のいる場所には、まだまだ先がある。まだまだ先があって、まだまだ歩いていける。



「おれらまだまだやな」


「まだまだや」



料理をそのまんま、その人にしたような優しいご主人とおかみさんに見送られて、店を出る。



「味はかたちに残らんけど、こんなに気持ちには残るねんな」


「墓まではなんにも持っていかれへんし、

 気持ちに残ってるもんが一番大切なものかもしれんな」


「そういうもん、作らんとあかんな」


「そうやな」



ホームから静かに賑わう町の灯りがすぐ近くに見える。


僕達は気持ちを新たにして、それぞれの電車へと乗り込んだ。



「ほな三崎でな」


「三崎で」




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「健やか 康らか」 須原健夫・近藤康弘 二人展


期間:2012年12月15日(土)〜24日(月) 11:00〜18:30

※18(火)はお休みです


場所:うつわとくらし sol http://www.sol-web.jp/


詳細:http://sol-web.seesaa.net/article/303951992.html 



待ってました「健康より」のおふたりによる二人展。
互いの道を歩み、必ず交差する二人の道。
彼らの道中を味わう事が出来るのがうつわとくらしsolさんの展示のように思う。
楽しみにしていますよ、近藤さん、須原さん。

名倉


手創り市








健康より・最終回




木を彫る。土をこねる。ガラスを吹く。糸を紡ぐ。金属を叩く。


つづらを色とりどりの作物でいっぱいにして、

今日もつくり手達は山を越え、谷を越え、次の里を目指す。


初めて行く市には、期待と少しの不安で胸を膨らませ。

久しぶりの市では、再会の喜びを心で噛みしめながら。


丹誠込めてつくった作物で、自分と家族の糧を得る。

なかなかうまくいかない日もあるけれど、

今日はカアチャンにうまいもん買って行けるな、なんて日には思わず顔がほころんでしまう。


よくそんな儲からないことをしているねと誰かが尋ねれば、

彼らは不思議そうな顔をして、恥ずかしそうに、そして満足そうに笑うだろう。

土地の人と話し、土地の風呂で温まり、土地で採れた料理をいただく。これがけっこう

幸せなんだと。


夕暮れ。市の終わり。黄金色の空を背景に作り手達は、また別の里を目指す。


あるものは北に、あるものは南に。

つづらを背負った作り手達は別れの挨拶もそこそこに、力強い足どりで様々な方角へ

と去っていった。


それを見送ると、僕と近藤は顔を見合わせる。

そろそろ行こうか。次の約束はしない。そのうちまたどこかで出会うだろう。


そして、それぞれのつづらをかつぐ。


振り向くこともなく、近藤は東に、僕は西へと進路をとった。


健康よりは、今回で無事に最終回を迎えることができました。

読者の皆様には、四ヶ月もの長い間お付き合いいただき、本当にありがとうございます。

読んでるよ!なんてお言葉をいただいた日にはうれしいやら恥ずかしいやら、

幸せいっぱいでした。


そして、∴つづるにて連載をする機会をくださった手創り市さんにも本当にお世話になりました。

ものづくりについてじっくりと想いを巡らすことができた貴重な経験です。ありがとう

ございます。


健康よりは、僕と近藤という二人のつくり手の物語でしたが、

この文章をきっかけとして、たくさんのつくり手さんの別の物語にも想いを馳せていただ

ければ、きっと皆様が使っているくらしの道具達がさらに愛おしくなると思います。


また来年も、皆様が健康でありますように  


須原健夫

・・・・・



野に咲く花のように、とくにこれといった華やかな所もなく、

ただ普通に健やかな景色の一部にとけこんだような人生を送ってきた自分。

誰に顧みられる事もなく風に揺られのびのびと生きてきたつもり。


そんな僕にある日スポットライトが当たる、.....健康より。

誰に見られるのか、たくさんの方々の前に自分をさらけだす。

なんでこんな事に....

緊張しながら、これくらいでいいのかな?迷いながら毎日文章を考える。

少しぐらい格好いい所見せたいななんて思っている時、

須原にカツアゲの話を暴露された。

よくある話かもしれないが、自分にすれば友人にも話さなかった、

一番恥ずかしいちょっとしたコンプレックスの話。

やりやがったななんて思っていたら、熱が入ってきて、

恥ずかしさの代わりに少しだけ文章を書く事がおもしろくなってきた。

それからは須原とのキャッチボールが楽しくなってきて

実際それは記事に反映されたのか、身近で読んでくれている方から、

おもしろかったよなんて言ってもらえるようになった。


あっと言う間の四ヶ月。

須原との二人展を目標に少しでも二人の事を知ってもらえたらと

慣れないキーボードを叩いた。

須原とは付き合いは長いが今までで一番須原の事を考えた日々だったかもしれない。


たくさんの方々にお越しいただき、おかげさまで好評のうちに無事二人展を終える事ができた。

課題もたくさん残ったが、昔描いた夢が一つだけかなった。


二人展最終日の夜、格別のビールを片手にうちあげをしている時、

突如、柳宗理氏死去のニュースが耳に入ってきた。

びっくりした。

須原と二人展をした店の店主、菊田が初めて出会ったのは柳宗理さんの講演でだった。

そこから須原は民芸に興味を持ち、僕に声をかけ健康コンビは生まれたのだ。

なんともいえない夜となってしまった。


少しだけ酔いの回った僕たちは

なんだか勝手にバトンを受け取ったような気になって僕たちに何が出来るのかと考える。

「何にも出来ないかもしれないな」なんて言いながら

ただ背中に背負った荷物が少しだけ重くなったような、そんな気がした。


....長い間、健康よりにおつきあいいただきありがとうございました。

二人の歩みは遅いですがこれからも頑張っていきますので

どうか温かい目で見守ってやって下さい。

またどこかでおあいしましょう!!


近藤康弘

・・・・・

12月25日、「健康な道具」展が終了し、そしてまもなく本連載「健康より」も
最終回を迎えた。
連載をはじめる前の益子・近藤宅での打ち合わせよりあっという間の4ヶ月。
それは私にとってとても貴重な体験となったと思う。
健康よりも、健康な道具展もひとまず幕を閉じたけれども、二人の健康なものづくりは
もうひとりの健康なものづくりを支える人間と共にようやっと始まったばかりの様に思う。
互いに切磋琢磨し、高め合って欲しいと切に願います。
最後に、これまで健康よりを読んで下さった読者の皆様
ありがとうございました!


※ご意見・ご感想はinfo@tezukuriichi.comまでどうぞ。

名倉






健康より(12月20日)



yuta須原健夫 http://www.yuta-craft.com/




二人展、オープニングパーティー。


店先には、炭のほのかな灯り。大きな蔵の扉をくぐると、その中に咲くたくさんの笑顔。

カウンターには店主が腕を振るった料理達がつぎつぎと並べられ、舌鼓をうち、楽しく話し

僕はほのかな酔いと、たくさんの幸せの中、少し不思議な気持ちでその場所を眺めていた。


「たけちゃんはいつも同じ子とばっかり遊んでるね」


小学校の頃、良く言われた言葉だ。

その言葉が表すように、僕はあまりたくさんの友達を作ったり、みんなで行動するというのが

苦手な子だった。


三人以上で行動する時は、二人の後ろを一人で歩く方が気が楽だったし、グループでいる時は

一人でボーっと別のことを考えている方が楽しかった。


繋がりを作るのが苦手だったとも言えるし、あえてたくさんの繋がりを作ろうとも思わなかった。

ひとつひとつの繋がりに責任を持とうと思う時、あまりにたくさんの責任を負う自信が

無かったし、責任を負わないでいいくらいの繋がりなら作らない方がマシだという気持ちも

あったのかもしれない。


こう書いていると、なんという頭の固い子供だとうんざりしてくるけど、

今もたぶん本質的にはそんなに変わっていないんだろうと思う。


最近、繋がりを作ること自体を目的とした集まりに誘われることがある。

僕はそういう場所が本当に苦手だ。

繋がりは目指していくものというより、知らないうちに後からついてくるものだとなんとなく

感じているからかもしれない。

もちろん、そういう集まりで作る繋がりも、それをきっかけとしてあとから中身が伴ってくる

こともたくさんあるんだろうと思う。

あくまでも僕の性格的にそれが苦手なだけ。


大きくて華やかな風船を膨らますよりも、雪玉をゴロゴロと転がして少しずつ大きくする方が

自分には合っている。

焦らず。一歩一歩。大切に踏みしめていけば人は自然と繋がっていく。


二人展に来てくださるたくさんのお客様。自然とできたたくさんの繋がり。


もの作りという小さな雪玉はゴロゴロと転がって少しずつ大きくなり、いつの間にかこんな

にも大きくなっていた。

僕は少し不思議な気持ちでその雪玉を眺め、大切に抱え持った。

近藤が作った雪玉と合わせると、大きな雪ダルマができた。


空を飛んでいくたくさんの大きな風船を眺めながら、何よりも温かいこの雪ダルマは僕の一番

の友人だと思った。


・・・・・

「健康な道具」 近藤康弘・須原健夫二人展 

期間:1217()1225() 11001830

場所:うつわとくらし sol http://www.sol-web.jp/

・・・・・


※「健康より」は火曜日更新となります。


手創り市

http://www.tezukuriichi.com 






健康より(12月12日)



近藤康弘


およそ九年前のこと。


京都の大山崎山荘美術館での民藝とランドスケープ・プロダクツの出会いという展示を見るために

わざわざ東京からくる須原と駅で待ち合わせた。

僕がまだ益子入りする前の年だ。

須原は以前から言っていた会わせたい奴がいると一人の男をつれて現れた。


それが菊田との出会いであった。


初めて会った時の印象は、とても人当たりの良さそうな笑顔の持ち主で

洒落っ気はあるがどこか素朴さが滲みだしているというそんな風だった。

話を聞くと同じように民藝に興味があると言う。

しかも祖母は開館当初の駒場民藝館で柳宗悦の元で事務員として働いていたという。

実家には柳宗悦から頂いた器や壺があるという。

なかなかパンチの効いた自己紹介で僕は一気に彼に興味を持ち、

そして馬があったのか盛り上がった。


僕が彼と出会って時間にすれば、まだ二時間か三時間くらいだったと思う、

展示に合わせた講演があってそれがお目当てだったのだけれど、

それまでにまだ少し時間があるというので裏山に登って時間を潰そうという事になった。

須原と僕と菊田でなにげなく登ったその山は

後で知った事だがよく天下分け目の天王山といわれるあの天王山であった。


登りきった所に墓碑があって、なんだか引きつけられるように近づいた。

十七烈士の墓とある。

幕末に新しい国を想い幕府と戦うが、

志なかばで潰え、

その場で自害した長州藩の十七人の志士の墓であった。


国を想う気持ち。


....今までの自分にはなかったなと思った。

誰からだったか何気なしにでた一言、


「健康的なものづくりで国をかえてみないか?」


その時はなんの力も持ち合わせてなかった三人だったけれど、

命懸けでそれぞれの道を極めたら

ひょっとすればちょっとぐらいなんとかなるんじゃないかなと思った。

若さのせいもあったからかもしれない。

似たような三人だったからかもしれない。

でも国をかえるというその言葉にやけに胸の奥から熱くなったのを覚えている。


「俺は陶芸で」

「俺は金工で」

「じゃあ菊田は?」

「俺は販売がやってみたい、だからいつか自分の店を持って作ったものを売ってやる」という。

「そりゃいいや!!」


....あれから何年もたった。

菊田とのつきあいも親友と呼べるものに至った。

出会ったばかりのその場のノリで誓ったような約束だったが

どうやら三人の中にはあの時たてた志の旗がずっとなびいていたようだ。


菊田はその後インテリアショップで販売を学び、

神奈川の山の中へ引っ越す。

やがてネットショップでうつわとくらしの道具を扱う店を開店し

そして今年の春、

震災直後の世の中が自粛ムード漂う中だったが、

自分のやれる事をやると

五月に神奈川県の三崎に念願の「うつわとくらしsol」の実店舗をオープンさせた。



三人それぞれが壁にぶつかったり、やりたくない違う仕事をしたりで

想いえがいたような順風満帆な歩みでは決してなかった。

でもあの時の熱意だけで語りあった夢物語は、

今や夢ではなく目標となった。


12月、展示会のこけら落としに須原と自分とで二人展をやってみないかという話をもらった。

いよいよきたなと思った。

そして今年はいろいろありすぎてへこんだりもしたけど、

今年こそ新たな一歩を踏み出すのには相応しいと思った。


「健康な道具」二人展とあるが、

僕らの気持ちとしては店舗もいれての三人展である。

器やカトラリーもたくさん並ぶが、

その空間には目に見えない特別な想いが詰まっている。

宜しければご覧になって下さい。




「健康な道具」 近藤康弘・須原健夫二人展 

期間:1217()1225() 11001830

場所:うつわとくらし sol http://www.sol-web.jp/



※「健康より」は毎週火曜日更新となります。


手創り市





健康より(12月6日)



yuta須原健夫 http://www.yuta-craft.com/



大阪の北。北摂の街、千里ニュータウン。

広大な竹林を切り開いて作られた、日本最初の大規模ニュータウンで、僕と近藤は生まれた。


戦後に新しく作られた文化と景色。第一から十八まで番号で名付けられた中学校。

それはそれで当たり前だったから嫌では無かったし、何よりも僕達にとっては大切な故郷だ。


けれど、高度経済成長の写し鏡のような街で育った僕達は今、田舎と言えるところで

ものづくりをしている。

ショベルカーが竹林を切り開いた時、近代化の代わりに無くしたもの。故郷は、それを

僕達に探させているのかもしれない。


近藤との初めての二人展があと半月程に迫ってきている。


その名も「健康な道具」展。

なんとも恐れ多い名前だ。


僕が生まれるもっと前。民藝運動で柳宗悦が唱えた「健康」という言葉。

それは、何十年の時が過ぎても忘れられることが無かった。


ある人にとっては美の秘密を覗き見る言葉として。

ある人にとっては救いの言葉として。


きっとその意味は人それぞれだ。どんな高名な人だって、柳宗悦の言う「健康」を

100%読み解くことはできない。

人は自分自身でしか無い。他人には絶対になれない。言葉や物事を読み解くことは

大切だけれど、それは自分自身の正解を探す為だ。


じゃあ、今の僕にとって、健康とはなんだろう。


僕にとっての健康とは、心のありようかもしれない。

ともすれば頭でっかちになったり、ズルしようとしたりそんな心の中の余計なものを

払い落とす。

とにかく、手を動かして作り、足を使ってお客様と出会う。

そしてそんな日々はまた、頭から余計なものを払い落としてくれる。

派手では無いけれど、大切な日々。


僕にとってはそんな日々が、健康の第一歩なのかもしれない。


僕の故郷が近代化の代わりに無くしたもの。そのひとつがきっと「健康」だ。


神奈川県の三崎漁港。飴色に日焼けした歴史と古い町並み。

半世紀前に建てられた船道具の蔵で、僕らが見つけた健康を並べよう。




「健康な道具」須原健夫・近藤康弘二人展 

期間:1217()1225() 11001830

場所:うつわとくらし sol http://www.sol-web.jp/




※「健康より」は毎週火曜日更新となります。



手創り市

http://www.tezukuriichi.com






健康より(11月29日)

 

近藤康弘


1月17日という日は関西人にとっては忘れえない日である。

阪神大震災が起こった日。

僕が高1の時で須原と出会った年だった。

恐ろしく、悲しい経験。

....あれから何年が過ぎただろうか、2011年の1月17日。

新婚ホヤホヤの須原家、近藤家の四人組はディズニーランドでかぶりものまでかぶって

ハメをはずしていた。

初めて四人で遊びに行ったのでおおいに盛り上がり、

今年の出だしは最高やななんていいながら、

こりゃプライベートも仕事もいい一年になりそうだなどと話していた。


災いは忘れた頃にやってくる。


3月11日、生涯で二度目の大地震。

僕は副業で益子の窯元で釉薬がけを行っている時だった。

徐々に大きくなる揺れの中、念のためにと外へ避難した。

犬がワンワンと吠えたてる中、やがて揺れは激しくなり、

地鳴りとともに水槽の水や瓶の水、釉薬が桶から飛び出した。

棚からは作っていたものが落ち、瓦はケムリをあげてズレ落ち、

大谷石の塀は音を立てて道路に倒れた。





震度6という爪跡はさすがに大きく、割れた焼き物の被害も半端じゃなかった。

いったい何件の窯元が窯焼きをしていたのだろうか。

友人宅は窯焼き中で急遽火を止めたが床一面、灯油びたしになったと言っていたが、

幸い、益子では火事の報告はなく本当に良かったと思う。


しかし、登り窯のような薪窯は9割以上が被害にあったと聞いている。

修行時代から休日に窯作りのバイトをしていた為、

たくさんの薪窯を見てきたが僕が知る限りそのどれもが壊れてしまった。

益子の象徴でもある参考館でも建物と多くの収蔵品に被害がでたと聞いている。


窯は壊れりゃなおせばいい。

食器は割れたら又作ればいい。

しかし健康を崩したらいったいどうしたらいいんだろう?





....原発事故。


今回の震災のすべてをのみこんだ暗い影。

益子から原発までの距離約120キロ。

復興へ立ち上がろうとする気持ちを踏みつぶすように放射能汚染の恐怖がのしかかる。

今年もあともう少しという今現在もメルトダウンした燃料棒が

格納容器の底でどうなっているかなんて誰にもわからないらしい。

いざとなったらいつでも逃げる覚悟は決めているが

徐々に現状に慣れて行く自分と

危機感のうすれていく世の中がふと恐ろしく思う。


今回の震災以降、僕の中で変わった事があるとするならば

悲しい哉、物事を疑うようになったという事だ。

自分も含めて人間の良い所も悪い所も浮き彫りになったと思う。

TVや雑誌、新聞などのマスコミが権力と結びついているという事を知って

疑ってかかると情報操作が普通に行われているという事が嫌というほど見えた。

流れてくる情報を鵜呑みにする程危険な事はないという事を知った。

スーパーではどの食材も無意識に汚染を疑うようになってしまった。


そして4、5年後に放射能による健康被害があらわれるという。

子供が一番影響を受けやすいという。

僕も友人達もこれから子供を育てていかなくてはいけない。

とても心配な辛い現実だ。

汚染物質がなくなるのに100万年かかるなんて聞くと、

原子力の道が間違っている事に誰でも気づくだろう。

自分なんか産業革命自体いらなかったんじゃないかなんて思ったりもするが

そんな恐ろしい原発が世界中にあってこんな事故があった今もまだドンドン建造されている。

日本の原発メーカーは日本で作れなくなったからと、今度は新興国に売って利益を

あげようとしている。


正直な話、春の静岡手創り市や益子陶器市が終わって少し気が抜けた頃、

真実を知りたいと原発関連の本を読み、ネットで調べたりした日々を送っていたら

知れば知る程、負の連鎖、先の見えない未来に絶望を感じ、気持ちが滅入ってしまった。


核分裂でおこる2800度という高温、

焼き物屋なんて肩書きをもっていようともせいぜい知っている温度は1300度前後だ。

粘土なんて跡形も残らないかもしれない。


そんな温度を冷やすために大量の海水が使われているという。

僕が知って一番驚いた事だ。

日本で1年間に全河川から海に流れ出る水の流量の約4分の1にもあたる程の

海水が54基の原発を冷やす為に、高温に触れる事で7度温められて海へ流されているという。

今こうしている間にも稼働している原発を冷やすために大量の7度温められた海水が

海へ流れ出ている。

人間が40度の風呂から47度の風呂に入ったらアチチである。


何としてでもやめさせなければいけないと僕は思うが

いったい自分に何ができるのだろうなんて思えば、気持ちは沈み、

仕事も手につかず下をむいてしまう。


そんな滅入った日々に年末の須原との二人展の話をもらった。

時を同じくしてつづるの連載の話をいただいた。

とにかく暗い気持ちから抜け出したかったのでどっちもやろうと決めた。

沈んでる時間なんてなくなった。

蓋をあけてみると、「健康より」と「健康な道具展」と健康づくめとなってしまった。

きっと健康が心からの願いだったのかもしれない。

少しだけ気持ちは前をむいた。

前を向いたら部屋がちらかっている事に気づいた。

ウソ、汚染、原発などどう対処していいか僕にはわからないが

身近にある汚いゴミは捨てようと思った。

ゴミを捨てて部屋が綺麗になるとなぜか玄関に花を飾ってみようと思った。

花を飾ると気分が少しだけ晴れてくるようだったので

食卓にはそう、打ち刷毛目という模様の花を咲かせようと思った。



※「健康より」は毎週火曜日更新となります。



手創り市

http://www.tezukuriichi.com









健康より(11月22日)



yuta須原健夫 http://www.yuta-craft.com/





「康弘は小さい頃、とてもわんぱくでスポーツ万能でみんなの人気者でした。

小学校に入った時からサッカー部に入り、生徒会に選ばれ、役員をやったこと

もありました。そんなヤスが、高校に入った頃から目立たなくなり、元気もなくなって


昨年の春。大阪で行なわれた近藤のウェディングパーティーでの、近藤のお姉さんのスピーチだ。

お姉さんの大阪人らしいキレのあるトークを聞きながら

「ありゃ?高校から親しくなったおれの影響か?!」

と身に覚えは無いながらも、ピンときていたのはいうまでもないが、

新郎新婦とごく親しい人達が集まった会場には、春一番の笑い声が吹き抜けていった。


学生服に身を包んでいた季節はいつの間にか遠い記憶となり、近藤は晴れて家庭を持つ

身になったのである。


そして夏が過ぎた秋。

京都の神社で、僕は偶然にも近藤と同じ年に結婚をした。


僕はモノづくりをしている個人事業者だ。

まだまだ未熟者ゆえに、収入は良い時もあれば悪い時もある。要はまだ安定していない。

そんな僕が結婚してもいいものだろうか?

正直、僕は結婚はまだ先だと思っていた。

生活がもう少し安定してからと常に思い続けてきた。

そんな僕の背中を押してくれたのは、僕の両親であり、妻の両親だ。

その年、初めて挨拶に伺った、どこの馬の骨ともしれない僕に、初めて出会う義父と

義母はとても優しく「商売はすぐには成功しない。三年は辛抱して頑張りなさい」と

背中を押してくれたのだ。


そんなふうにたくさんの人達に助けられ、僕は家庭を持つに至った。同じくモノづくり

を生業としている近藤も、きっと似た境遇だろう。

何よりも友達が一番大切だという季節は過ぎ去り、何があっても家族を守るという季節が

僕達にやってきた。

二人共まだ子供はいないが、きっと子供ができたらさらにその思いは強まるのだろう。


祈りに近かったモノづくりも、作物を育てることに近くなった。

僕だけの生活を左右していたモノづくりに、これからは家族の幸せも乗せなければいけない。

日々、腕を磨いて土を耕し、イメージの種を蒔いては、いくつも失敗を繰り返して大きく

育った作物を大事に収穫し、皆様にお届けする。

そして、そこで得た糧でまた家族の日々は流れていく。

とても幸せな日々だだけど険しい道だ。


作品自体は変ったという自覚はまったく無いけれど、作品の根底に流れているものは

きっと少しだけその流れを変えた。

そのことで僕のモノづくりは、近藤のモノづくりは、いったいどこへ舳先を向けたのか。

今の僕達には知るよしもないけれど、その行き先にはとても興味がある。


場面は戻り、近藤のウェディングパーティーの最後。

新郎からの締めの挨拶で、したたかに酔っぱらった近藤は

「皆様迷惑がげてずびまぜん!(すみません)」

と新婦の肩に寄りかかりながら号泣していたが、

お互いまだしばらくは妻に迷惑をかけることになりそうだ。


だけど焦らずに、一生懸命オールを漕いで行こう。

まだ見ぬ航海の終着点。

そこに広がる景色は僕だけの景色では無く、きっと家族みんなの景色だ。


※「健康より」は毎週火曜日更新となります。

手創り市
 





健康より(11月15日)



近藤康弘





毎回、綺麗な文章書くなぁ畜生!
なんて思いながら、イチ読者になって須原の回を愉しんでいる。
もう少し平凡な表現もあろうに、いちいち美しい言い回しを使ってくる。
 
古いつきあいという事で彼の文章も幾度となく目にしてきた。
それは今のように綺麗さを感じさせるものではなく、
粗削りだったがどこかセンスを感じさせるもので
言いたい事は真ん中にドッカリと座っているという具合だった。


でも必ずといっていい程どこかに少し勘違いしているような部分があったように思う。
この少し勘違いしているという所が須原のクリエイティブな所で、
それは、一般受けするものではないかもしれないが
彼の生き方にもそういう所があって
そこが妙に僕を刺激してくるというか、スキなところだ。


生き方は真面目で、人の道を踏み外すような事は決してしない人間だが、
時に真面目すぎるがゆえに可笑しな事をしたりする。


例えばかなり前の事だがそれぞれが住んでいる東京と大阪の中間地点で山ごもりをしようと
お互い電車で静岡でおちあった時、
キャンプ経験のほとんどない彼はしっかり本で勉強してきたらしくゴロン、ゴロンと
大きな熊鈴を東京から鳴らしながら現れた。
駅から歩いていける範囲の野宿だったが彼のおかげで僕らは熊に襲われずにすんだ。


さらに少し前だと高校時代の校内行事で私服で遊びに行くという時に
女子を意識してか、少しはお洒落していこうと皆おもいおもいの服を来てくる中、
何を考えたのか須原は頭から足先まで純白できめてきた。
普段決して人の前には立とうとしない人間がだ。


僕たち二人は性格は温厚な方でリアクションだけはやけに大きいと共通点は多々あるが
インテリジェンス溢れる有名大学の教授を父にもつ彼と
東大阪の町工場で、仕事じゃ誰にも負けへんでと言う父を持つ僕とでは
やや頭の出来も性質も違い
そこがまたお互いおもしろくて負けないようにと彼は彼なりに、僕は僕なりに考え、
健康的な美しい国を想い、ものづくりをしている。


神経質でもあり何をするにしてもキチンと考える事で抑制のきいた行動をとる須原は
一般的にいうと石橋を叩いて渡るタイプだ。
でもその叩き方が金工職人のまさにそれでコツコツと叩く一つ一つがとても繊細で注意深い。
それゆえ奇をてらった行動は決してしない。
安全だと確かめた道を一歩ずつ自分の足で進んでゆく。
その歩みはとても遅いし、時々勘違いしてドボンといってしまう時もあるけど
確実に経験を自分のものにしていくので薄皮を張り合わせていくというか
メッキを重ねていくというか見ていると彼はゆっくりとだが確実に大きくなっていっている。


そんな真面目で憎めない彼の言う事だから
僕は例えドボンといこうとも彼の言う事に100%の信頼をおいている。
空手を始めたのも彼から言われてだし
民藝に興味を持ったのもそうだし、焼き物を仕事にしようと思ったのもそうだ。
静岡の手創り市に誘ってきたのもそうだし、つづるの依頼を受けたのも彼から経由だ。
思えば僕の人生は須原の振ったサイコロに付き合っているような感じだなぁ。
でも次は何がくるかと、とても愉しんじゃってるけども....


 
写真は須原に自由に創ってもらった僕の婚約指輪。
彼女にだけあげるのはつまらないからと
デザインは自由でいいから俺のやつを作ってくれと注文したら
男の婚約指輪なんてナメているとばかりに
まさかの木喰上人が出来上がってきた。
指輪の内側では上人が金の手を合わせてお祈りされている。


須原の少し勘違いしたクリエイティブな仕事である。



 

※本連載は毎週火曜日更新となります。
 是非ともご覧下さい。


手創り市
http://www.tezukuriichi.com






健康より・合併号(11月8日)


近藤康弘





秋の益子陶器市が迫る一年前のちょうどこの時期、

僕はギリギリの予定の中で釉薬がけを行っていた。


その日は台風の影響で天気は大荒れ。

日が暮れてまもなくした頃、腹が減ったので食材を買いにスーパーに買いだしに行った。


街灯もない暗い夜道、見とおしの悪いカーブを抜ける時、

道路の真ん中に何かが横たわっているのを僕の目はとらえた。


「いのしし!?」


急に僕の胸は高鳴った。

....というのも修業時代、親方とお茶の時間に猪を食べる話をしていて

自分で捕らえるのは罠をはったりで大変なので車に当たってくれると

ちょうどいいのになぁなんて、冗談まじりに笑いながら話していたのを思い出したからだ。

でも、頭のいい猪のこと、車でひいたという話もひかれているという話も実際聞いた事は

なかった。


「台風による風雨、見とおしの悪いカーブ、夕暮れどき」

奇跡のような偶然が重なって奴はひかれたのだと僕は勝手に想像し思い込んだ。


アクセルを踏み込み、頭と車はフル回転してスーパーにかけ込んだ僕は食材は買わずゴミ

袋だけ買って現場へ戻った。

おそるおそる近づくと間違いなく猪だ。そして驚くほど無傷に近い。

ドキドキしながらゴミ袋を手にまき触ってみた。


「まだ、あたたかい。」思ったとおりだ!


鮮度もよし、とすべての条件が揃った、LET'SGOだ、持ち帰ろう。

しかしそんな思いとは裏腹に重いそいつを持ち上げたとたん、僕は急に臆病風にふかれ

怖くなってしまった。


「やっぱ無理やわ、やめとこう」


道路のすみによせるとそのまま逃げるように発進してしまった。

少し行った所で停車し考える。


「逃げちゃダメだ、こんなチャンス二度とないぞ。料理の修行と思え。」

と自分に言い聞かせる。


器づくりという仕事。

料理を盛る器をつくる人間だからイメージする為、当然ある程度はなんでも料理が

出来なきゃ駄目だろう。

....というのが持論の理想としてあるので肉でも魚でもなんでも捌けるようになりたいと

以前から思っていた。

そして親方がやすやすと肉や魚を捌いている姿を思い出した。

僕は腹を決め戻り、そのまま奴を車にのせて家に戻った。


家に連れ帰ったはいいが家族が一人増えたんじゃないかというぐらいの存在感。

さてどうする!?


僕には人生の中で一杯一杯になった時についまき込みたくなる人間がいる。


・・・須原だ。


さっそく電話してみる。

こういう事情で男になりたいんだ俺はとだけ告げると「俺にまかせろ」と電話はきれた。

しばらくして怒濤のようになる携帯メール音。

見てみると牛のような大きな猪を解体している写真と説明が載っている本を写メールした

ものが全部で七通も送られてきた。参考にして頑張ってくれとある。

「なんであいつはこんな本を持ってんのやろ」という疑問はわいたが、拡大すると文字

まで読める。

相談役として完璧な仕事だ。

しかし、これからおこる近い未来図としてはその写真はあまりにも生々しすぎ、僕は気分

が悪くなった。


でも生ものは鮮度が命、待ってはくれないぞと本にならって、仕事場の梁にロープで

吊るし上げた。

包丁をあててみる。

今まで少しはまな板の上で肉は切ってきたがまるで感触が違った。

突いても押しても厚い皮はビクともしない、ちゃんとひくように切らないと切れなかった。

やがてぽたぽたと血は出て、皮もなんとか剥ぐ事が出来たが

そこに現れたのは透き通るような色をした美しい肉だった。

もっと気持ちの悪いものだと思っていたが、その美しさはしばらく魅とれてしまう程だった。


それからはもう夢中になって、

ここはロースで、ここがモモでなんてつぶやきながら切り分けていった。

誰かがやってきてたらきっと悲鳴をあげてた光景だったに違いない。


初めてした猪の解体作業、終わってみれば、美しさに感動し、食材への感謝する気持ち

を知った。

そして身体の底から食欲がわいてくるような気がしたのでさっそく網を用意し炭火で

焼いてみた。


「最初は塩で食ってやろう。」


おそるおそる、でもとても愛おしく口に運んだ肉はどっこい想像よりも固かった。

味もいまいち、豚肉の方が断然旨い。

後日、猪の肉は煮込めば煮込むほど旨くなる事を知るのだが、

でも味の事よりも、奴の命というか魂みたいなものを感じてしまったので残さずにあり

がたく食べた。

 

普段当たり前のようにスーパーで買っている肉、それだって生き物だから本当はありが

たい筈なんだけど、感謝なんていちいちしない、肉は肉でしかない。

この出来事で捌く事以外に大切な事を学んだ気がした。 

後日、須原にはありがとうと僕の獲物を無理やりプレゼントした。


猪に夢中で仕事の事なんてすっかり忘れてたので窯焼きは大幅に遅れてあとで大変だった....


※続いてyuta須原さんによる記事をお届け致します。

↓ ↓ ↓


yuta須原健夫


ある頂からは、不自然な緑色が張り付いた山が見える。


ある頂からは、棒倒しで崩れた砂山のようないびつな山が見える。


ゴルフ場やスキー場、採石場などが、山の姿を変えている。


僕はいろいろな山の頂上から人間の手で変わり果てた山の姿を見るたびに、清々しい気分に

水をさされたようで、苦々しい気持ちに浸っていた。


人間に破壊されていない、あるがままの姿だったら、ここからの眺めはどんなにか美しいだろう。


だけど、ある時ふと思った。

金工をしている僕が使っている、金属はどこからくるんだ。


金属は空からパラパラと降ってはこない。もちろん、熟れた果実から溢れ出すものでもない。


山を削って掘り出しているのだ。

そんなこと当たり前だ。


手仕事で、優しいイメージのものを作っているから、僕の仕事はエコだと思われがちだ。

だけど、その実、山に穴ぼこ空けて、水の流れも生態系も変えて、僕はものを作っている。

カッコつけてエコだなんてとてもじゃないけど言えるハズがない。


人間が自然を利用して生きるのは当たり前。生きることは、生命を奪うことで、作ることは、

何かを壊すことだ。

だけど、それは食べるとか寝るとか生きる為に絶対に必要なことだからこそ、許されるんじゃ

ないのか。

考えれば考える程、僕はうしろめたい気持ちになる。


僕は金属の作品が作りたい。

あの鈍く光る黄金色の素材で。時のうつろいと共に姿を変える銀色の素材で。

時に鋭く、時に柔らかく、硬く、軽やかに、くるくると変わるその姿で、何よりも美しいもの

を作ってみたい。


それは、単純な欲求だし、たくさんの人との約束だし、甘い誘惑だし、学びの道だし今や、

数え切れない程たくさんの気持ちや出来事で複雑に編まれた想いだ。


やめることなんて、とてもじゃないけどできない。


だからせめて山に感謝しよう。

わがままを通すかわりに、いただいた素材は大切に使おう。

手にとる人に、ずっと使ってもらえるような作品を作ろう。


自分が奪ったものは、どこから来てどこに行くのか。

目を凝らし続けよう。


ついこの間こと。江戸時代に大変栄えたという、兵庫県の多田銀銅山という土地を訪れた。


今も残る、江戸時代の坑道は、苔や草を抱きながら、思ったよりも優しく佇んでいた。


午後の優しい日差しの中、その穴は動物でも住んでいそうな、生命を孕んだ姿をしていた。


その横には、金属の神様を祭るお社が静かに人々の感謝の気持ちを受け取っている。


美しい場所だった。

いつか、こんな場所でものづくりがしてみたい。

過去のほんの断片だったとしても、自分が奪ったものを想いながら、感謝できる場所で何か

を生み出して行きたい。


僕は今日も金属でものを作っている。


少しうしろめたい気持ちを抱えながら、それでも自分の意志でものを作っている。


※本連載「健康より」は毎週火曜日更新です。



手創り市
http://www.tezukuriichi.com  






健康より、yuta須原健夫(10月25日)



yuta須原健夫 http://www.yuta-craft.com/



力強く舞い踊る、刷毛目。
小気味良くステップを踏む、飛び鉋。

秋の静岡、護国神社で近藤のうつわが青春のダンスを踊った。

そもそも近藤は、阿呆のようにのんびりと構えているのが良さだ。
どんなことを言われても、じっと堪える辛抱強さがあり、えらそうにす
るところが無い。
ところが、ごくたまに僕相手にドヤ顔をし、教えてやる口調で話しかけ
てくることがある。
そういう時に限って、内容はしょうもない話なのだけど、これには重要
な意味がある…と僕は勝手に思っている。
こういう時、近藤は自信が無いのだ。
普段がっちりと根をはっている近藤の木が、ぐらんぐらんと揺れだし
て、ソワソワと音を鳴らし出す。

近藤が親方のもとから巣立って4年。ここ最近、またそんな音が
鳴り始めていた。
たぶん、作風に悩んでいるのだろう。
独立してから、早々の個展。
近藤のデビューは縞模様のうつわから初まった。
一人の陶工としての門出を感じさせる、なかなか立派な展示だったけれ
ど、あれ?と思ったのも事実だ。
近藤の強みは、修業時代に培った伝統技法「飛び鉋」や「刷毛目」、力
強いカタチにあったはず。
別にそれに固執する必要は無いと思うけど、それでもボクシングジムに
通っていたボクサーのデビュー戦が柔道だったくらいの違和感はあった。

それからも近藤は試行錯誤しながら、洒落た雰囲気のうつわを作り続けた。
一生懸命、試行錯誤して作ったうつわだ。悪いわけが無い。むしろ、良い。
心惹かれるうつわもある。

だけど、何か物足りない。何かが噛み合わない。
そう思っていたのは、僕だけでは無かったはずだ。

そんな中、春の益子陶器市で近藤の元を久々に訪れた。
ズラリと並ぶ洒落たうつわの中に、少しだけ刷毛目のめし碗が置いてあった。
やはり、迷っている。あの夏の日に陶郷小鹿田で見た刷毛の舞が、ろくろを
回す指のすき間から、踊りたいとこぼれ出している。
なんとせつなく美しいめし腕だろう。
この日、僕は初めて、お客として近藤のうつわを購入した。

そして、ある日の打合せに向かう車の中、僕は思っていたことを口にし
てみた。あのめし腕のような作品をもっと見たい。
僕の願望をぶつけてみたのだ。

「そっちもやるけど、型にハマらずいろいろなことをやってみたい」
そう近藤は言った。
そりゃあそうだ。話は聞くけど、言うことは聞かない。それが作り手と
いう生き物だ。
そうでなくてどうする。
僕にとっては、そっちもやると聞けただけで、儲けもん。次の窯出しは、
秋のARTS&CRAFT静岡。どんなうつわが並ぶか楽しみでならな かった。

そして、ARTS&CRAFT静岡当日。さわやかな秋晴れにたくさんの人
の笑顔が溢れる中、僕は近藤のブースに向かった。

まあ、あいつも頑固者だから、相変わらずいろいろなものを作ってるだ
ろうな。刷毛目なんかの作品は、めし腕以外に皿のひとつでも見られれ
ば儲けもんか。
そう思いながら辿り着いた近藤のブース…そこには、棚から溢れんばか
りに刷毛目や飛び鉋の力強いうつわが並んでいた。

「めっちゃ作ってるがなッッッ!!!!!!」

僕はひっくり返りそうになったが、すんでのところで踏み留まり、
じっと作品達を眺めた。

そこには、迷いなく手のおもむくままに生み出されたうつわ達が、ブー
スいっぱいに舞い踊っている。
これはかつてたくさんの民藝の里で、近藤と見た青春のダンスだ。
まだまだ拙いけれど、あの時のステップだ。

近藤は「渋過ぎへんかなあ」と苦笑いしていたが、僕はただただうれしかった。


※「健康より」は毎週火曜日更新となります。


手創り市
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