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  • 2014.02.15 Saturday

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作文 (7月23日)



ANDADURA HP  http://www.andadura.net/ 



20回目…エフさんのことvol.01



こんにちは、ANDADURAの山本です。

作文も全24回の20回になりました。

あと5回ですね。一見4回に見えるんですが、あと5回なんですね。

最終局面ですので、間違えたら大変です(という程でもないけど)。

あと数回ですが、最後までお付き合い下さいね。


「エフさんのこと」のメインビジュアルは、エフさんからのお手紙に添えてあった、

おふたりのイラストです。いつもパソコンの前に飾っている、工房の守り神です。

今こうして書いている前にも、パソコンの前で見守ってくれてます。



さて、作文最終章は、エフスタイルさんのことを書いてゆこうと思います。

タイトルは直球に「エフさんのこと」です。タイトルからにじみ出るように、

僕が個人的に感じた事を書いてゆこうと思ってます。

それと、エフさんを「ビジネス目線」みたいなもの、を外して眺めてみたいとも思ってます。

しかししかし、ビジネス目線を外すと言ったって、結局そういうことも込みの枠の中で、

やり方を作ってゆくので、ひとつの目線を外して語る事がナンセンスのようにも感じてしまう。


たとえば、人の顔から鼻を取って下さい、と言われても。どこからどこまでが鼻なのかは、

線の引き方ひとつで変わってくる。

だから、自分の試みも、人の顔から、強引に鼻をもぎ取り(例えが最悪ですね)

「これが鼻です!」

って他の可能性や、ものの見方をまったく無視しているのかもしれない。


でも、ビジネスの目線から見たものって、たくさんのものが抜け落ちるのも事実で、

たまには、鼻をもぎ取っても良いのかもしれない。

しかししかし、あまり難しく考えると全く書けなそうな気がする。純粋に自分が感じた事を

書いてゆきたいと思う。


まず、エフさんについて書こうという意図は、堀木さんとの「お話」で触れたけど、

そもそもなぜ自分は、こうやって文章を書くのかは、ここまでが自分の仕事ですよと線を

引く事への違和感からだ、と言ってますが(是非「お話」をご覧下さい。)もう少し掘り

下げると、おそらくある種の危機感からだと思う。


どんな危機感か?


今、もの作りは、ある種のブームのようだけど、それも数十年もしたら、

空気になるかもしれない、という危機感。

「あ〜、そういうのあったよね。」といった具合に…ならないとも限らない。

しかし、僕個人ではどうする事も出来ない。だって相手は「時代」とか「時間」みたいなもの

だから。

時間がモノごとをどんな風に変容させるのかを予測し、コントロールするなんて、一休さん

でも出来ない相談だろう。

あるいは、どこからか、屏風を持って来てどうにかするのかもしれない。


しかし、僕は一休ではない。当たり前の話。

手頃な屏風はないかと、辺りを見渡してみても、そんなもの、どこにも見当たらないのだ。


(うだうだうだ…)


とりあえず先に進もう。

その危機感はどこからきてるのだろうか?


例えば、民藝が空気にならず。今でも感じる事が出来るのは、柳宗悦さんという、ことばの

人を持ったからだろう。

それは、民藝にとっても、僕のようなささやかにものを作っているものにとっても、幸福な

ことだと思う。


強引に言うならば、民藝は、コトバを得て、思想になった。

バウハウスだってアーツ&クラフトだって、空気にはなってないのは、

それらが、後世に届けることばをもっているからだろう。


さて、今のもの作りに思想はあるのだろうか?


バブルがひとつの思想にならなかったように(もしかしてなってますか?)、もの作りも

同じ道筋を辿るのではないだろうかという危機感がある。

ふたつはまったく違うようで、似ているところもある、ように感じる。


思想になってるものって、反時代的というか、世の流れに対し「違うでしょ、それ」という

精神が根本にあるように思う。

反対の人にも届けようとすることばは、時代をこえて、遠くまで届くのだろう。


バブルが思想を生むとしたら、高度経済成長バンザイ!といったかたちではなく、

「ねえ、これちょっとやりすぎなんじゃないの!」

といったかたちでしか遠くに届くことばは紡がれないのかもしれない。


だから、今のもの作りは、時代の追い風を受けている分、思想にはなりにくいのかもしれない。

もしかしたら、そんな思想なんてものは、必要じゃないのかもしれない。


どこを探したって、そんな旗見当たらないもの…


僕が感じる危機感はざっと言えば、そういうことだと思う。

そんな危機感を感じ、なおかつ手頃な屏風を持たない僕はどうするのか?

それは小さい声ながらも残しておきたいのだ。自分がその時、なにを考えていたのか。

まぁ、女子高生がプリクラを撮る行為に似ていなくもない。そんなささやかなものです、

これって…


思想にするだけの、ことばを僕は持ってないし、思想を作ろうという意図が産み出すものは、

結局「経済優先主義」みたいなものに対して、アンチを唱えることだけになるだろう。

(それも出来ないけど…)


でも、それらのありかたって、

東京を地方と対立させてとらえるやり方のように、定型に陥るしかないように思う。

(しかしそれ意外に東京を説明するすべをもってるだろうか。)


もっと違う目線はないのだろうか?


だから「エフさんにいて」書くのだろう。

エフさんについて書く事は、現在のいろいろな経済優先主義みたいなものを

相対化する試みのようにも感じる。荷物をちょっと脇においておくみたいに…


それに、僕自身がエフさんにふれた際にある種「すくわれた」感じがした。

自分の中にある、ものづくりを仕事としてやっていく際のバランスみたいなものが、

いままでと違う場所に納まったからではないかと思う。


エフさんと一緒に仕事をさせてもらって、僕はこう思ったのだ。

「気持ちで、仕事ってしていいんだな。」と。


そんな事を、「エフさんのこと」では書いてゆこうと思う。

経済優先を相対化するとか、大きな事を言ったりしてるけど、

ただ、目の前にある、おふたりのイラストを眺めながら、ただ、思う事をつらつら書いて

いこうと思う。


貴重な一回を前置きに使ってしまったが、まあ、まえがきとあとがきがないと

落ち着かない体質ですので、ご了承下さいね。

(あとがきもありますので実質2回なんですね。)


それでは、また次回に続きます。

次回からは本格的に書いていきます。もしかしたら、虎が出るかもしれません。


・・・・・


ついに始まりました。「エフさんのこと」。

連載が始まる当初より書いてみたいと思っていると言われていた事を

ずっと楽しみにしていました。

「民藝が空気にならず。今でも感じる事が出来るのは、

 柳宗悦さんという、ことばの人を持ったからだろう。」

という下りに深くうなづき何度も読み返しています。 名倉


※「作文」は隔週月曜日の更新となります。

 ご感想は下記mailまでお気軽にどうぞ。


手創り市

http://www.tezukuriichi.com

info@tezukuriichi.com





 





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